国際情報交換 -ヨーロッパ普及指導派遣チーム報告 |
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ヨーロッパ普及指導派遣チーム報告――ハンガリー、チェコ、オランダ、フランスでデモとクリニックを実施――西村信寛(JSTA副会長) 始めに 日本ソフトテニス連盟は基本方針に沿って、鋭意ソフトテニスの国際普及を推進している。ソフトテニスの国際普及は1980年代の後半から本格的活動が開始された。当初の10年間程は主としてアジア地域の普及が促進され、その成果として、1989年アジアソフトテニス連盟の設立を契機に加盟国(地域)が増大、現在は約25カ国(地域)を数えるに至った。また1990年北京アジア競技大会のオープン競技として国際総合大会に参加が実現し、その後1994年広島大会で正式種目に取り上げられ今日に至っている。また1997年からは東アジア競技大会でも正式種目採用された。 そうした中で近年はさらに飛躍すべくヨーロッパへの普及に力を注いでおり、徐々に成果を挙げつつある。ヨーロッパへの普及は1999年に指導派遣チームをイタリア・ローマに派遣したのを皮切りに、その後さまざまな形でヨーロッパ各国との交流を深め、その結果2003年の広島世界選手権大会には、イタリア、ハンガリー、スイス、チェコ、ドイツ、イギリスが参加し、国際化の新たなステップに入った。広島大会は数の上では30カ国(地域)が参加し、従来にない盛況であった。 しかしながらソフトテニスの国際普及はアジアの一部を除けば各国ともまだまだ未熟であり、特にヨーロッパは種がまかれたばかりの状態であって、今後の発展や定着化は未知である。このような状況の中で今回の派遣が行われたのであるが、これまでの活動成果を助長するとともにオランダ、フランスに新たなきっかけを作りやがてはヨーロッパ全域に足がかりをつける意味で極めて重要なタイミングと思われた。その面では中堀・高川ペアー、玉泉・上嶋ペアーという現在最高の男女選手の参加を得て、さらに途中からではあったが東芝姫路金冶監督も加わって、各地でデモンストレーションとクリニックが開催されたことは、各国の反応も上々であり、我々の目標をしのぐ成果があったと思われる。 普及指導派遣チームメンバー
派遣先 ハンガリー・ブタペスト市、チェコ・ブルノ市、オランダ・アムステルダム市、フランス・パリ市 日程 平成17年1月14日(金)~1月25日(火) 1月14日(金) PM18:00成田の指定ホテルに集合、19:00夕食、ミーティング 1月15日(土) AF275(エールフランス航空)成田発12:25 パリ経由ハンガリー・ブタペスト着21:05 1月16日(日) ブタペストにおいてデモンストレーション、クリニック、交流試合 1月17日(月) 同上 1月18日(火) チェコ・ブルノへ移動(列車)、 1月19日(水) ブルノにおいてデモンストレーション、クリニック、交流試合 1月20日(木) ブダペストからウィーン経由オランダ・アムステルダム 移動、OS375ウィーン発17:20 アムステルダム着19:25 (金冶、丹崎氏合流)AF275成田発12:45、パリ経由 アムステルダム着19:50 1月21日(金) アムステルダムにおいてデモンストレーション クリニック 1月22日(土) アムステルダムからフランス・パリに移動 AF1341アムステルダム発10:35 パリ着11:50 1月23日(日) パリにおいてデモンストレーション、クリニック 1月24日(月) AF276パリ発13:20、 1月25日(火) 成田着9:15 出発 1月15日(土)、エールフランス275便で12時45分成田を出発、途中パリ・ドゴール空港で乗り継ぎ、同日午後21時05分ハンガリー、ブタペスト空港に到着。8時間の時差を含めて約16時間の長旅であった。4人の選手は皆ヨーロッパは初めてということであったが、海外遠征には慣れており、また同行の田辺さんは何度も今回訪問する各国を訪れているのでまったく心配のない状況である。空港にはハンガリー連盟ルカッチ会長夫妻(2001年来日)、ベド氏(新設のヨーロッパ連盟会長)とブタペスト駐在の海外指導者玉木進氏(伊藤忠商事)の出迎えを受け、ルカッチ会長の運転するミニバンでホテルに向かう。ルカッチ会長には以後ブタペストを離れるときまで、常にドライバー兼案内役も勤めていただいた。 ハンガリー・ブタペストにて 1月16日(日)、ルカッチ会長の運転するミニバスで会場のヴァサステニスクラブへ。ヴァサステニスクラブはレストランや更衣室などを備え12面のコートを持つ施設である。予定では午前10時から12時までジュニア指導、午後5時から7時まで公式のデモンストレーションイベントが組まれていた。午前中のジュニアは以前から日本の中学生やチェコ、イタリアなどとも交流実績のある男子4名、女子3名が対象でその他一般男子2名も加わった。すでにソフトテニス大会などで活躍しているメンバーなので日本選手が相手をすることにより、ストロークやゲームも素直にこなした。バックハンドのグリップとダブルスのコンビネーションに基本的な問題があるが(ヨーロッパではすべて同じ)、ストロークやサービスの力はある。今後とも育って欲しい選手達である。彼らは以後チェコのクリニックやパリのクリニックにも積極的に参加し、ソフトテニスに意欲を持って取り組んでいる印象であった。特に女子のレベルは15歳にしては高く、楽しみである。午後5時からのイベントは準備が行き届いていて観客も多く、ハンガリーテレビ局の取材もあり、また日本大使館からも書記官が駆けつけ挨拶を行った。デモイベントの内容は概ね次のようであった。 1. 開会式 ハンガリー側、日本側コート中央に整列、司会の紹介で西村および日本大使館戸田書記官挨拶 2. 芸能人や元テニスチャンピオンの紹介、インタビュー、ソフトテニス体験 3. ハンガリージュニアメンバーの模範トレーニング 4. ハンガリージュニアチームゲーム 5. 交流マッチ 女子シングルス、男子シングルス、女子ダブルス、男子ダブルス 6. 模範マッチ 女子シングルス 玉泉選手対上嶋選手 男子シングルス 中堀選手対高川選手 混合ダブルス 中堀・上嶋ペアー対玉泉・高川ペアー さすが日本選手のスピーディーなプレーには観客も目を見張るほどでしばしば歓声と拍手が響いた。特に最後の混合ダブルスの迫力には感心したようで、後刻クラブのコーチからも賞賛の声が聞かれた。 1月17日(月)は平日なので観客はいなかったが、昨日のジュニアメンバーを中心にじっくりと練習を行った。かなり慣れてきたせいか、動きも皆活発で、日本選手との日本流のスピーディーな練習にも一生懸命ついてきており、ジュニアとしては相当なレベルと思われた。今後ハンガリー連盟はジュニアの育成を中心に普及に取り組む計画であり、関係者の努力に期待したい。 なおこの日は午後からルカッチ会長が現在建設中の新しいテニスクラブに案内された。まだ整地の段階であったが、環境の優れた場所に、センターコートと4面のサブコートを予定し、宿泊施設やクラブハウスも備えた立派なクラブである。ルカッチ会長はここをソフトテニスの本拠にもしたい考えで、今年の4月にはオープンし、8月にはソフトテニスのヨーロッパ選手権大会、ISTF公認国際トーナメント、国際ジュニア大会がすでに具体的に計画されている。我々もこうした意欲ある動きをさまざまな形で支援していきたいと思う。 ブタペストからブルノへ 1月18日(火)、ルカッチ会長に見送られ、ブタペスト駅から列車でチェコのブルノ市に向かう。ブタペストからブルノまでは列車で4時間ほどであったが、国境をまたがるため頻繁に切符の検札やパスポートの点検があった。殆どがなだらかな草原の中の行程で、おそらくこれが高い山や海のない東ヨーロッパ地域の一般的な景観なのであろう。 ブルノ市はプラハに次ぐ、チェコ第2の都市であるが、我々日本人から見れば大都市というより、のんびりした地方都市のようで、寒いせいもあってか、人影もさほど多くない。 ブルノ駅に午後2時過ぎに到着するとチェコ連盟のスダ会長が迎えてくれた。近くのホテルにチェックインした後、この町では唯一の観光場所とも言える中世のお城跡を夕方の冷え冷えとした中、歩いて一回り、夕食は近所のレストランで取り、早々に帰宿した。 チェコ・ブルノにて 1月19日(水)、ブルノ市のDISテニスクラブにおいてチェコのデモ・クリニックが行われた。DISテニスクラブは軽食の取れるクラブハウスを備えた、立派な施設で、バルーンのカバーコートが縦に2面続いている。参加者はスダ会長の地元ハビロフから来た、男子2名、女子ジュニア2名および地元の選手数名に加え、ハンガリーからルカッチ会長に引率されてきたハンガリージュニアチームメンバーなど約20名、それに視察に来た観客やここでもテレビ局の取材などを加え、30名ほどであった。ここでのデモ・クリニックは日本選手とできるだけ対戦したいという現地の要望もあって、メインの1面では主として日本選手との交流ゲームを行い、サブでフリーの練習をする形となった。いずれもテニス経験者であり、特にハビロフメンバーは2年ほど前からソフトテニスも行っているので、かなりレベルは高い。最初に高川選手にシングルスで挑戦した選手は、22歳の大学生であったが、時折高川選手を苦しめる素晴らしいストロークや強烈なサービスを見せていた。やはりバックハンドの問題と力任せの荒さが目立ち、最後まで食い下がることはできなかったが、後でもう一度依頼されて対戦した高川選手は、2度目はさらに出来が良くなったと述懐していたほどである。ヨーロッパの身体的能力に優れた選手が本気でソフトテニスに取り組めば、すぐにでもアジアのレベルに達することは間違いないように思えた。ジュニア女子の2名もともに15歳とのことであったがブタペストメンバーに勝るとも劣らない素直なストロークで、ソフトテニスを楽しんでいる様子もうかがえ、このまま継続していけば、かなりのレベルになるだろうと推察された。 ブルノからアムステルダムへ 1月20日(木)、チェコでの活動を終え、ブルノ駅から列車でウィーンへ、そしてウィーン空港からアムステルダムへ向かった。ウィーンまでは列車で約2時間の道のり、ブルノへ行く時と同様、なだらかな草原が続いた。ウィーンでは飛行機の待ち合わせ時間が2時間ほどあったので、昼食をかねて、中心街を散策、若干なりとも歴史的な音楽の都ウィーンの情緒を味わった。ウィーンからアムステルダムへは飛行機で約2時間の予定であったが、出発間際に管制塔の故障があったらしく、1時間も遅延した。アムステルダム・スキポール空港では今回のお膳立てをしてくれたヘンゲルさんや日本から遅れて参加する金冶監督、丹崎氏に合流する事になっていたので、かなり待たせてしまったが、空港で皆が元気に揃い、遅い夕食をとりながら明日からのデモ・クリニックの打ち合わせも行うことができた。 アムステルダムにて 1月21日(金)、ここでのデモ・クリニックは午後12時から約4時間、アムステルパークスポーツセンターのテニスクラブ3面のカバーコートでヘンゲルさんやその友人達が周到に準備してくれた参加者、観客、来賓など50名ほどで行われた。来賓の中には今後ソフトテニスの普及に影響があると見られるテニス協会や関係団体の幹部や新聞社の取材、さらにはブタペスト同様日本大使館の書記官なども招かれていた。日本の書記官樋山氏との話し合いではオランダには日本関係者も多いので今後機会があれば応援も可能とのコメントもいただいた。参加者の中で特に目立ったのは20名ぐらいの男女小学生が先生に引率されて体験学習をしたこと、および車椅子の選手が4名ストロークやゲームを楽しんだことであった。どこの会場でもそうであったが子供たちはすぐにソフトテニスに慣れ、実に楽しそうにボールを追い回していた。金冶監督や選手は、子供たちへの対応を充分心得ており、彼らにソフトテニスの楽しさを伝え、喜ばせていた。子供たちへの対応が重要であることはヘンゲルさん始め各国の関係者もよく理解しており、今後の普及の参考にしていきたいと考えているようであった。車椅子のソフトテニスは2バウンド制で行ったが、違和感はなく、選手も大変楽しんでプレーできた様子で、今後日本や他の国でも参考になると考えられ、思わぬ収穫であった。ここでも日本選手と現地選手の交流ゲームは時間が足りなくなるほどで、日本選手の混合ダブルスは強い印象を残したようであった。 アムステルダムからパリへ 1月22日(土)、アムステルダム・スキポール空港からパリ・ドゴール空港まで、約1時間20分、昼ごろパリに到着した。ドゴール空港で待ち受けてくれたのはJALカーゴに勤務しているというインド系のサラバヤさん。サラバヤさんは今回デモを行うテニスクラブの関係者でこちらの要請で熱心に計画を具体化してくれていた。場所はドゴール空港から車で15分程の距離にあり、パリの中心地との間に位置している。この日は移動日なので午後は自由行動とし、皆で電車に乗り、約30分のパリ市街地に出かけてみた。選手たちにとってもはじめてのパリであり、2~3時間、つかの間の市街見学であったが、さすが華の都パリ、おなじみのルーブル博物館(中庭に入っただけ)を手始めに凱旋門を近くに眺め、夕暮れにイルミネーションで飾られたエッフェル塔を背景に写真に納まったり、オープンカフェを横目にシャンゼリゼ通りを散策、横道に入り、ルイヴィトン、グッチ、エルメスなど有名店をのぞいたり、パリのひと時を楽しんだ。全員でパリのランドマークの1つであるコンコルド広場まで歩き、ここから電車に乗って帰館した。ホテル近くのレストランでパリのサラバヤ氏などの関係者、それにパリのデモに参加のため来ていたハンガリーのルカッチ会長、ベド氏ほかジュニアメンバーと合流して、明日の成功を期して簡単な夕食会が行われた。 パリにて 1月23日(日)、パリでのデモ・クリニックの会場はヴィラピンテテニスクラブ、5面のコートが自由に使用できる状態であったが、3面あれば十分、午前10時から12時までは一般のクリニックが行われ、クラブの関係者や子供たち約20名に自由参加でソフトテニスを指導、ここでも子供たちは熱心に楽しむ様子が目に付いた。午後は現地の硬式テニス大会の決勝戦が行われるため、観客も増え、その合間に中堀・上嶋対玉泉・高川の混合ダブルスマッチが行われた。ヴィラピンテという名前はパリ郊外のこの地の名称で、市のトップである女性市長も出席してのデモンストレーションとなった。金冶監督と丹崎氏も審判を努め、7ゲームマッチが行われたが、まれに見る熱戦で、随所にソフトテニスの素晴らしいプレーが見られ、観客を驚かせた。終了後硬式大会の閉会式に合わせて我々ソフトテニスの紹介が改めて行われ、市長から記念の楯が授与された。その後の情報では関係者の評価も高く、引き続きソフトテニスのイベントを行う意向とのことである。 今後に向けて ヨーロッパへの普及活動はアジア地域のそれとは若干異なり、硬式テニスの本家とも言うべき地域で硬式クラブへ働きかけて行うものであり、種々難しさがある。我々の考えとしては硬式と対立する競技ではなく、共存して欲しい競技として紹介している。特にボール、ラケットが軽く身体に優しい、子供にも適した大衆スポーツであることを強調している。その面で各国の反応は概ね良好で、関心を持ってソフトテニスを迎え入れてくれており、これまでの導入部分ではかなりの成果が挙がっていると確信している。しかもヨーロッパは全体が地続きでそれぞれの国が緊密な関係にあり、コミュニケーションが良いので我々の意図を超えて周辺諸国への広がりが早く、普及の期待が持てる。今回の派遣においてもそれぞれの受入国の関係者が事前にかなりの情報交換を行っており、我々もそれを仲介し、より効果を高めることができた。しかしこれらの成果が今後より広範囲に定着し、競技人口が増えていくかどうかは、いまだ予測しがたい状況である。今回の各国訪問がさらに普及を促進する良い機会であったことは間違いないが、アメリカ地域や東南アジアなども同様であるが、ヨーロッパではスポーツイベントを運営する目的や意義は、ボランティアやレクレーションではなくビジネスの要素が強い。このことに、ノウハウの未熟なソフトテニスがこれからどうこれらのニーズに対応していけるかが、世界レベルの普及のポイントであろう。今回のツアー中、ちょうどテニスのオーストラリアオープン大会が行われていてどこのクラブでもテレビ中継を行っていたが、その華やかさや興行としての扱い方が、我々のセンスから見れば、同種のスポーツとは思えないほど差がある。120年の歴史と伝統を背景にした日本のソフトテニス界が今の状況を変えることは極めて難しいし、良いかどうかの判断もつかないが、むしろ今後はヨーロッパやアメリカなどのソフトテニスがビジネス化に挑戦する時代になるかも知れない。そうした動きが出れば、我々としても的確に判断して対応してゆかないと、ソフトテニスの国際化に水をさすことにもなりかねない。今回訪問した各国の関係者は、今後のソフトテニスの取り込みに関し、いろいろ検討や実践を行う動きになっている。またハンガリーやチェコはさらに一歩進んでヨーロッパ選手権、ISTF公認国際トーナメント、国際ジュニア大会などを2005年に開催予定である。我々もヨーロッパのソフトテニス普及を支援、協力し、何とか定着化させたいと思う。そして今回の派遣がその契機になれば幸いである。 終わりに今回の派遣に関し、事前の諸準備、相手国関係者との調整、期間中の先導役としてご尽力いただいたナガセケンコー(株)田辺理氏、またオランダ、フランスにおける始めてのソフトテニス普及を橋渡しいただいた小畑勝利氏(慶応大41年卒、ソフトテニス部OB)、さらに、期間中終始ご協力いただいた玉木進氏(慶応大48年卒、ソフトテニス部OB, 伊藤忠商事ブタペスト駐在)に心から感謝申し上げ、報告としたい。 ![]() 1 ハンガリー選手と共に(ブタペスト) ![]() 2 チェコ選手とともに(ブルノ) ![]() 3 オランダテニスプレーヤーと交流マッチ(アムステルダム) ![]() 4 オランダで協力頂いた方々(中央の男性がご協力頂いたヘンゲル氏) ![]() 5 オランダ有力新聞の取材を受ける日本選手たち(アムステルダム) ![]() 6 子供たちを教える中堀選手(アムステルダム) ![]() 7 車椅子選手と交流マッチ(アムステルダム) ![]() 8 金治監督と日本選手たちによるソフトテニスの説明(パリ) ![]() 9 子供も大人も一緒にストロークの練習(パリ) ![]() 10 パリでの夕食会 |
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